理想と現実
市街地から少し離れた山間の住宅地に
平屋の昭和古民家風の格安物件を知り合いに
2万円ほどで借りて、友人と二人でそれぞれの屋号を
掲げてアロマサロンを開くことになりました。
サロンの雰囲気は昭和モダン風に揃えて
とても居心地の良いサロンになり、
私達はとてもワクワクしていました
しかしその当時、今のようにインスタグラムや
その他のS N S集客のツールがあまりなかったことや
経費が安ければ最初の数ヶ月、お客様からの予約なしでも
なんとかなるのではと、甘い考えを持っていました。
内装や備品を揃えるのにも、HPを作るのに時間もお金も
かかり、数ヶ月しても結果が出ず、あえなく閉店となり、
それぞれ各自がゼロから再び自宅でサロンを開きいつか
実力と経営が伴えば店舗を借りて再出発しようということになったのです
これが2019年の初春の事でした。
2020年の一撃
共同アロマサロンを閉店した後、再び資金を貯めて
2020年の夏に自宅サロンをオープンしようと計画立てていた時
世界を震撼させたコロナパンデミックが起こりましたね。
ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に停泊して連日ニュースで
緊迫した状況が報道されていた時です。
ちょうどその時新しいパートの仕事、学童保育も始め出した頃です。
学童の教室では真冬に窓を開放し、数時間の間に何十回以上も手を洗ったり、
消毒液を至る所にふりかけたりしていました。
適切な消毒液やアルコール消毒が店頭から消え、
仕方なく皮膚に付けるのが危険な洗剤を薄めては子供達や
指導員の手に吹きかけたりしていました。
子供達は学校が休みでも親御さんたちはお仕事ですから
学童に子供達が預けられていきます。子供達もストレスが
溜まっていきます。なぜなら一番じっとしているのが
難しい状況下で初めてのマスク生活、声を出してはいけない、
くっついてもいけない訳ですから。指導員たちもピリピリしていた
状況下でした。
絶不調の始まり
そんな時に私はとても寒いその教室で仕事をした後
風邪を引いて37.4度の微熱が一週間ほど続きました。37.5度に
ならないとPCR検査を受けられない、そんな不安やストレスを抱えてしまいました。
熱が下がった後、呼吸が苦しくなりとても怖かったのを覚えています。
何度も病院に行っては血中酸素の濃度を測ってもらったり、
肺のレントゲンを撮ってもらったり、していました。
世界の人々のパニックにとても影響されました。
今思うと全て自分の免疫をただただ下げることばかり
しかしていなかったんですよね。でもこの出来事は私の人生観を
変える序章に過ぎなかったのです。
❸へつづく
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